過去にどの記事かで「武士道なんて糞だ」と述べた事があると思うが、其の理由を未だハッキリ記述していなかったので書こうと思う。
何処で言ったっけなぁ・・あった!
ググったらトップに出て来たw
元旦早々また朝日新聞が胸糞悪い記事を
http://robotboy.japonium.com/article/11265031.html 何、長々と書くつもりは無いので御安心を。
ロジックは簡単だ。
武士道とは、儒学や朱子学という哲学が元、更に遡れば仏教そして釈迦の教え(思想)へと辿り着くわけだが、多くの人間が武士道精神性を語る上で、日本人の特性とする道徳心を絡めながら、其の哲学だけで語ろうとする。
危険だ、危険極まりない。
上記を参照された方は何となくわかるだろうが、「道徳」については、当ブログの行動指針である
連想用日本風土派生図を語る中で記述しているので下記を参照ください。
連想用日本風土派生図<中級・道徳不要編>
http://robotboy.japonium.com/article/9959314.html 「長々と書かない」と言いながら、参照しまくりではないかと突っ込まれそうですが。
さて、予備知識を押さえた上で進もうと思います。
「其の哲学だけで語ろうとする」と先に述べたが、では何が足りないのか。
ズバリ、「剣術」である。
此は、竹刀を使った剣道ではなく、真剣を使った命懸けの剣術を指す。
言わば「中国大陸の帝王学+日本刀を基調とする武術」という、日本に於ける文武両道の形が其処に在る。
つまり「戦略+戦術と戦力」で、「理論的(=から来る)人心掌握の知恵(戦略)と実践的(=から来る)肉体の感覚(戦術と戦力)」、即ち「知と体の精神修養こそが心を作る」という、其れが「文武両道」であり、日本で言うところの「武士道」なのだ。
但し、此を実践していたのは一握りの国民であって、武士道精神は日本の道徳心ではない。
無論日本の剣術は日本刀と切り離せない関係にあり、日本の戦史の中で築き上げられ磨き上げられた云わば日本人の心、其れを作る職人を含め其れを取り巻く風土からなる思想有っての物である。
人工物は魂という名の情報の器であり、職人の技術や時代背景という人の歴史が蓄積された記録媒体である故、考古学然り、其れを見れば其れを作り上げた文明の息吹を感じる事が出来る。
だが武士道精神を懐古される様な時代に於いて、其処で実際に大衆に行われていたのは、帝王学や武術に迄至らない「読み書き算盤」という商人としてやっていけるだけの基礎レベル。
勿論其処から先を学ぶ自由はあったが、其の帝王学の書物は高価なものであり、一般大衆の中でも富裕層でしか手に入れる事は出来なかった。
所が今現在、帯刀は禁止され、学校で真剣を使った剣術の稽古も行われていない。
にも関わらず、中国大陸の哲学だけ学べば、当然、日本の風土から発生し由来された、自国から学ぶべき「命の尊さ」は蔑ろにされる。殊に島国の日本では其の危機感も薄い。
当然そんな人間に、外圧による自国の生命に対する危機感なんかあるわけもなく、学んだ帝王学の祖となる中国様からお声が掛かれば、中国幻想一杯の彼等であれば諸手を挙げて歓迎するだろう。
即ち、弱味を握られると相手の諭す帝王学のままに自己正当化し、敵に寝返る様な「腹が切れない‘身’の程‘知’らずのインテリぶった頭でっかちな人間」が出来上がる。
こうして生まれたのが、売国官僚の所謂「チャイナスクール」であり、政治家なら橋本龍太郎、加藤紘一、谷垣さだかず(谷垣禎一)、岡田克也であり、無論、財界人も例外ではない。
ハッキリ言って竹刀の贈与で武士道を気取る橋龍よりも、日本刀をバットに見立てて居合いする王さんの方がよっ程リアルな武士道だ。
即ち、「命懸けで守る」という体を張った肉体的修養を行わなず、他国の哲学だけを受け入れる事が、如何に危険で身を、強いては国を滅ぼす行為に繋がるかわかるだろう。
実際、日本という国は明治維新の際、神道を朱子学等の思想家系宗教と習合させて体系化し、権力が暴走して敗戦によって滅びた。
武士道とは、知と体の微妙なバランスで成り立っている、まさに諸刃の剣なのである。
要は「剣術もしてないくせに士(サムライ)面するな」という事だが、「武士の商法」とはよく云ったものだ。
武士の商法
商売のやり方が下手であることのたとえ。明治維新以後、武士であった者が商売をしても、いばってばかりいて失敗することが多かったのでいう。(大辞林 第二版)
此の諺、明治維新からだったんですか、今言った事と見事に被りますね。
武士の商法で国を動かされてはたまったもんじゃなですよ、ホント。
自ら武士道を騙り自己正当化する者、相手に武士道を騙り諭す者、どちらも糞以下、ガン細胞其のものだ。
殊に今回の話に重ね言及すれば、技術の粋を集めた日本刀に代表されるモノを作る職人を、現在の日本ではバカにする傾向があるのも他国の思想ばかりに偏って受け入れた結果だろう。
日本人はモノには魂が在り其れを宿す職人を神扱いして来たが、近代日本では其の日本刀という武器に象徴される魂の器をクルマ等に転換して技術力を高めて来た。
しかし其れは日本刀程の生命の継承とは程遠く、飽く迄技術面だけであり他国の製品の代用に過ぎなかったのではと思うのだ。
日本人はクルマの運転を剰りにも知らなさ過ぎる。
モータ・スポーツでは未だ一流の域ではないし、実際、運転のうの字も知らない日本人が、命懸けの競技だと理解出来る筈も無いだろう。
しかもトップ・カテゴリに位置するF1に居る日の丸を身に付けた日本人でさえ、中国共産党のプロパガンダに加担するという売国的傍若無人ぶり。
だから技術を軽んじ易々と売り渡せるし、産業的ダメージや背後にいる労働者の痛みも感じられない。
従って本当に武士道を敬いたければ、今ならせめて日本の産業主力製品から生命という根源を基調とする肉体感覚を研ぎ澄ませるフローを築かなければならない。