2008/08/01

ジャーナリストとレポータの違い

 ジャーナリストは主観で伝えるもの。
 レポータは客観的に伝えるもの。

 前者は客観性を必ずしも必要としないが、後者は人が介在する限り主観は排除し難いが、限り無く客観性を求められる。
 要は立ち位置に同じ場合があっても、求める方向性、向き方が全く正反対で違う。

 ジャーナリストに求められるのは事実か否かに尽きる。
 つまり情報の受け手は真実の見識を求めるが、実際は真実よりも己の政治信条に則った正義として戦う為にコンテンツが自在に作られる。
 否、作り込んでも、嘘や捏造さえ無ければ何だってよく、其れこそが表現の自由に内包される報道の自由という考え方なのだ。
 従って欧米は情報を受ける側のメディアリテラシの教育が根付いている。しかし教育の成果が定着しているとは言い切れない。
 要するに、だからお天気レポータが居てもお天気ジャーナリストは存在しないのだ。

▼メディア(媒体)
 ▼ジャーナリズム(報告や解説の組織及び構成員の総称)
  ▼プレス(報道機関の事で凸版印刷に由来)
   ▼ジャーナリスト(編集者・記者・解説者)
    ▼ジャーナル(活字や写真による新聞・雑誌)
   ▼レポータ(報道員・報告者)
    ▼レポート(活字や写真や映像による報道映像・報告書)

 ジャーナルは主観に基づいた真実への見識が求められる故、利害関係の透明性が重要。
 レポートは客観的事実が求められる故、公平性が重要。

 ジャーナリズムは活字媒体に由来し、新聞が嘘や捏造を行っても被害者に訴えられ判決が下らない限り報道の自由は保証されている。
 一方TVは公共性と公平性が求められる認可事業の為、其れに反すれば最悪放送免許剥奪となるので、所謂ジャーナリストの肩書きを持つキャスタのニュース番組は本来有り得ない。
 だが日本の四大テレビ局の全てが操業以来新聞社と強く資本関係が結び付いており新聞業界の体質は抜けず、だからと言って放送法のガイドラインが正しいと言っているわけではないが、其れに対し日本の視聴者が筑紫哲也のニュースに公平性を欠いているとクレームが起きるのも当然の事である。
 だがしかし其れはジャーナリズムが公平性を求める事を正当化する意味でもない事を留意しておく。

 因に自分は他人の噛み砕いたジャーナルより限り無く主観の薄い固形のレポートを好む。
 分析は自分で勝手にするから出来るだけ多くの事実を色んな所からバラバラのソースとして欲しいわけだ。

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Posted by Virtue at 13:25 | 静岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑学/雑感
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