2008/10/06

温故知新て…

 温故知新(おんこちしん)とは、「子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師と為(な/す)るべし」という孔子の論語から後半を省いた四字熟語だ。

 温故は、過去の歴史等の蓄積されて来た古いが学術的知識で、当然の事乍ら人間が核と成って蓄積されているので、少なからず当人の見識や更に事物を掘り下げ温め熟考すれば思想や哲学が自ずと磨かれ含まれる。
 知新は、温故に基づいて未来を見抜く先見性と新たな知識の補填。

 両者とも記憶(=知識)だが、前者は思考が含まれ知性と化し、後者は前者を踏襲しない限り知性足り得ない。
 そして省かれた文末「以て師為るべし」の件、此れは前者(=知性)を踏襲して師と成れると孔子が言ったのだと弟子達が言っているのだが、要は師は知恵を授ける者であれと。

 但し其処には、実体験に基づいて活かせとか自ら行動し手本を示せとは説いていないのがミソなのだが、流石孔子、そんな事言える筈も無い。
 頭だけで体を使わない究極のホワイトカラー、実に口先だけの中国人らしい。
 そして中国人は人の話なんか丸で聞かないから、論語なんぞ「中国の古い言葉にこうある」等と人を操り纏める手段として利用こそすれ、言ってる当人は守らないから手本にも成らず一向に纏まらず、良くて修辞、口喧嘩だけが虚しく量産される。
 結局仮想敵を捏ち上げなきゃ纏まらない民族性は数千年経っても変わらない。
 しかしそんな中、中国人が信者化する帝王学として奴隷予備軍に謳う論語を、真に受け有り難がり、性善説で捉える純真無垢な御人好しが島国から現れた。
 そう、日本人だ。
 彼等は孔子の弟子や朱子以上の好意的解釈をして血肉とし、体現化しようと努力した。
 中には中国共産党の奴隷と化したチャイナスクールという弊害も生じたが、故パナソニック幸之助(旧松下幸之助)という偉人も生まれた。

 論語は飽く迄論語であって中で語られる内容は何れも哲学止まり。
 つまり行動力については全て聞き手側に丸投げされるわけで、即ち自己啓発の為の語り種に過ぎない。
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Posted by Virtue at 20:41 | 静岡 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己啓発術
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