2009/02/13

誰にも嫌われないのと誰も嫌わないのと何方が…

 誰にも嫌われないのが善いのは言う迄も無い。
 其れに加えて誰も嫌わなければ尚善い、最善。

 只、其処に忍耐を要する場合にどっちが精神衛生上善いのかというと、前者も後者も同列に対等に比較出来る。
 無論答えは「人夫々」。

 しかし、前者の第三者である客観する多数の中に、別の対象人物に対して嫌いに思う人が居るという可能性を秘めており、後者の場合は個人の主観しか無いが、此の個人が複数、否多数存在すると仮定した場合、最初に述べた「最善」という理想郷が築ける事が分かる。
 さて、そうなると前者が価値相対主義で後者が価値絶対主義という主軸を形成する働きを果たす。
 つまり、尚善いとおまけの様に言った方が先ず斯く在りき、、であって核に相当、保守と革新なら前者が革新で後者が保守となる。
 従って認知の証明には第三者が存在して初めて成り立つが、其れも何より先ず主観を発する当事者が在って成り立つ故、世間ではクラウドだ何だと云われているけど、矢張り当事者意識や個人の自由な情報発信力や権利と其れに伴う責任て重要だなと思いつつ、自分は怒る事も無いし辛うじて後者を満たしているかなという結論に至りました。

 僕の言いたい事わかってくれる?
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Posted by Virtue at 06:28 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己啓発術
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