2006/01/23

安藤忠雄氏の建築が好きになれない理由

 80年代初頭から『コンクリート打ちっ放し』で名を馳せた安藤忠夫氏だが、子供の頃から彼の建築は苦手だった。

 今もそうだが、兎に角「恐い」のである。
 あのコンクリが崩れて下敷きなったらという圧迫感と恐怖感。
 大人の感覚からすれば、コンクリは頑丈で強く、スタイリッシュでお洒落となる。
 「自分も大人になったらそう思うようになるのかな」と思っていたが、今も変わらない。

 昔からコンクリの陸橋の下を潜るのもダメだった。
 あのジャッキ・チェンも、陸橋の下では絶対立ち止まらないとテレビで言っていた。
 そして阪神淡路大震災で将棋倒しにポッキリ折れた橋。
 寧ろ以前より恐怖感が増している。

 更には其れ等の影響を受け、旧耐震強度規格のコンクリート構造物の耐震実験映像の公開。

 見た?あれ、鉄筋が入っていなければ、全く耐震性が無く脆くも簡単に崩れる。
 仮に鉄筋が入っていたとしても、建物が崩れないだけで結局コンクリには亀裂や破壊が起きる。
 つまり、2度目3度目の地震には同じ強度は保てない。

 何が言いたいのかというと、1発目に地震に耐えられ命が助かったと、しかし構造を見たらコンクリに亀裂や剥離が入っている。
 其の後あなたは住み続けますか?という話である。
 賃貸なら引っ越しで済む問題だが、買っていたら目も当てられないだろう。

 結局地震に強いのは鉄筋ではなく鉄骨だが、コンクリ無しのビルって有るのかな?
 やっぱコンクリ恐ひ。

 あと氏の哲学なのか、安藤さんは、使い易さや便利さの対極に無駄さを肯定するが、使い難さや不便さは無駄による不便とは別問題だと思うんだよなぁ。

 使い難さや不便さが、其処で長く住み続けようとする人間にとって、どれだけの苦痛になるかを理解していない様な気がする。
 無駄は面白さや生活にハリを与えるものであっても、苦痛を与えるものであってはならないと思う。

 使い難さや不便さが無駄な動作を生むにしても、バリアフリーの「バリ」程度の無駄ならいい運動になるし必要悪かもしれないが、安藤建築はガチガチの無駄なバリアを意図的に作ってる感が否めない。
 其れを遊び心と言ってしまえば其れ迄だが。

 でも安藤建築は嫌いだが、安藤氏は結構好きなんだよなw
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Posted by Virtue at 16:14 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 言動分析名簿
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