2009/09/12

道路事情を悪化させる劣った自動車文化に根付く精神論

 最近老人が増えた影響か道路事情が悪化してる気がする。

 歩行者も然る事乍ら運転がヤバい。
 夕方や悪天候で辺りが暗くなってもライトを点灯しないクルマが殆ど。

 自分さえ見えていれば、線からはみ出さえしなければ、速度さえ出さなければ、ぶつからないという歪んだ法令遵守の思想が事故を併発している。

 もう此れは日本の自動車社会の黎明期からずっと変わらない。
 操縦を静的な家電操作や座敷所作と勘違いしている人間が多過ぎる。
 まさか今時ポンピングブレーキをしてる人間は居ないと思うが、昔はJAFが推奨していた。
 此れが自動車版ゆとり教育だ。

 スピードとは人間の本能、其の本能を合理的な思考で理性を導きコントロールするという思想が根本に無ければ一向に進歩しない。
 自動車教習所や警察はクルマに対する愛着心や運転する楽しさという熱を奪う為に「クルマは移動手段としての単なる道具」と半ば見下し気味に唱える一方で、其の手段の為に前段階の生活態度へ踏み込み「余裕を以て出掛けましょう」とクルマは生活の一部です的な自動車を中心とした手段の目的化という本末転倒で両極端な唱え方をする。
 「してはいけない」「やってはいけない」といったダメダメな精神論に法的な刑罰という驚怖で更に押さえ込むという遣り方は、一定の成功は収めても社会的な進歩を遂げた事は無い。
 無論歴史的に見れば負の遺産を教訓としては学べるが、其れは当事者として有効に生かせるのは天変地異や内乱や戦争で法がリセットされた後の話だ。

 自動車の運転で一番重要な事は、止まれる速度で走る事だ。
 其れさえ出来れば、極端な話、速度標識なんて必要無い。
 つまり裏を返せば、止まれないから速度制限を設けているという事。
 しかし此の“止まれない”は、物理運動に則った制動距離によるものではなく、ドライバがブレーキを確り踏めないから止まれないという意味だ。
 要するに、ブレーキも碌に踏めないのに制限速度さえ守っていれば安全運転だと思っている危険な運転未熟者が、国内に290万人も居るという事だ。
 結局、教育と許諾に於けるコストのバランスで道路事情が成り立っているわけだが、運転未熟者を鍛えず弱者として過保護した結果が此の有様だという事だ。
 だから高齢者は一定年齢に達したら免許は返納して二度と運転するな的な意見が平気で飛び出す。
 老化による衰えも鍛えれば回復出来る所と出来ない所がある。
 回復して運転に適正なら問題無い。
 勿論、審査が執り行われるという架空の話が前提だが。

 言わばステディカムをオペレーティングする為に体を鍛える様な物で、此れこそが自動車が生活の一部として必要不可欠な人の為の道具とするポジティブな手段の捉え方ではないだろうか。
 つまり事故らない為の朝寝坊は改善し辛いが、運転出来る様になる為なら肉体改善に打ち込み易いという同じ目的化でも意欲に左右されると言う事。
 何故なら人間は欲に早く長く浸ろうとする為にモチベーションとして本能的にスピードを求めるからで、従って同じ早く移動する為の手段の目的化でも、前者は事故らない欲として成立し辛く三大欲求の一つとして目される睡眠欲に逆らうモチベーションなので達成困難となる。

 道具に対する愛着心も八百万の神の偶像崇拝の思想を持つ日本人としては当たり前の事だ。
 道具を道具として真っ直ぐ見られるに越した事は無いが、実際「只の道具です(キリッ」って格好良くキメられる場面があるとすれば事故った時ぐらいだろう。

 次回は止まれる速さで走るとはどういう事かにつて、合理的理性の働かせ方と合わせて書きます。
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Posted by Virtue at 17:11 | 静岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車
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