2006/08/04

浄土真宗10派が首相に靖国参拝中止要請

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060804-70646.html
浄土真宗10派が首相に靖国参拝中止要請

 浄土真宗十派でつくる真宗教団連合(理事長・不二川公勝浄土真宗本願寺派総長)は4日、小泉純一郎首相の靖国神社公式参拝の中止を求める要請文を首相官邸に提出した。

 要請文は「靖国神社は国家による戦争を正当化する政治的な機能を果たしている特異な一宗教施設。公式参拝は憲法の精神に背く違憲行為」とし、首相と閣僚の参拝中止を求めている。

[2006年8月4日13時36分]

 此のニュース見てピーンと来たね。
 浄土真宗による宗教弾圧及び政治圧力は、今回が初めてではない。

 浄土真宗は、以前大問題になった「清め塩廃止運動」の当事者だ。

 もうみんな忘れているでしょうが、浄土真宗は在日朝鮮人の差別利権に絡み、日本の地方自治体から税金を騙し取って神道の『清め塩』に関する嘘の知識をプロパガンダし、日本の風習を潰そうとした国賊です。

 日本人の多くは、自分を無宗教人と思っていて、更には仏教を日本の宗教と勘違いしていますが、仏教は外来宗教であり、其の源流は中華仏教です。
 浄土真宗は勿論、オウム真理教や創価学会の様な朝鮮人が作った仏教教団ではありませんが、あの事件以降はどう見ても先の積水ハウスではありませんが朝鮮の人権ヤクザに乗っ取られています。

 僕がブログを立ち上げた一つに宗教観があります。

 此以上は深く掘り下げません。
 「浄土真宗 人権 清め塩」等でググって、自分の頭で考えて答えを出してください。
 其れと合わせて今、日本で起こっている特ア絡みの異常な社会現象を、しっかり皆さんの目に焼き付けていてほしいと思います。

 清め塩の正しい知識は、下記を参照してください。

清め塩について考えてみましょう
http://jinja.jp/jikyoku/kiyomesio/index.html
Seesaaタグ
Posted by Virtue at 19:26 | 静岡 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑学/雑感
この記事へのコメント
○靖国神社参拝中止要請の背景について一言。

靖国神社問題に関して、愛媛「玉ぐし料」裁判の結果が重大な影響を及ぼしているが、それは、靖国国家護持への企てが招来したものです。

愛媛「玉ぐし料」訴訟裁判の内容は、愛媛県知事の護国神社参拝に際して、「玉ぐし料」を公費で支出したことに裁判という形で噛み付いたものであるが、それは青年らしい率直な反応であった。

それは教団としてはもとより、地元教区でも一部の数人の私的な活動であって、大勢としては誰にも認知されない跳ね上がり者の行動であった。現在においても、地元教区・教団の中では単に少数者がおこなった裁判であって、そもそも嫌われ者の一人にしか過ぎないのであるが、しかしその結果は、靖国神社国家護持に対して重大な影響を与えたのである。

この裁判の本質は、靖国神社国家護持の策動に直感的に危機感をもった、松山の宗教者の小さな連帯行動である。その小さな純粋な心に、「靖国国家護持」の政治的野心が火を点けてしまったのだ。

キリスト教や浄土真宗という宗教の核心は(もちろんキリストの神であり阿弥陀仏の大悲心であるが)、信者の行動原理としては、自己をむなしくすることが出来るほどの、絶対的に純粋な真心(まことごころ)にあります。信心とは、人間として絶対的な真実として頷いた神や仏の真心(まことごころ)・愛や慈悲の心に、人間としてもまた絶対的な真心(まことごころ)によって応えるという行動原理をもっている。

それは、精神の内面に深く根ざして自己を問う誠心の発露であって、神や仏のこころを「わが心」にして生きていくことである。

そもそも愛媛県というのは、富山県とともに日本で最も保守的な教育県であって、愛媛県の教育長を長くつとめた竹葉秀雄は、全国に先駆けて教職員に勤務評定を導入し、戦後はびこった日教組をつぶした男でも有名である。したがって、高等学校には日教組はない。
またそのことで、国連の「国際労働機関」(ILO)に呼ばれたりもしたが、私塾「ひの会」において『古事記』を講義し、誌紙『ひ』によって識者を育てようとしたりもしたのである。
しかし一方また、愛媛県の高等学校・校長というのは広島大学の出身者が多く、真宗の唯円の『歎異抄』から引用して、その卒業式・入学式の式辞を述べることが出来るほどの教養があった。
彼らは、広島大学において金子大栄の講義に感銘を受け、すでにして真宗と出会っていたのであり、真実の宗教というものは何ほどのものであるのか、という事を心得た教養人でもあったのである。

○自己を問うことのできる宗教と、問えない宗教がある。

自己を問うことのできる宗教とは、自己の外に、よって来る原因を求めるのではなくして、自己の内に、すなわち自己のあり方を問題として、その課題を克服していくことのできる宗教である。
「経教は鏡である」という言葉があるが、釈尊は自己を問えない宗教を外道と称し、自己を問う宗教を真実の宗教と言ったが、自己を問わずして何の宗教ぞや。

○「清め・お払い」などという世界は、自己の外なる世界の穢れを想定し、それをホウキで掃き清める体のものであって、到底人間の内的精神生活の欲求に応えられるものではない。素朴ではあるが、したがって無邪気ではあるが、間違えば罪深い問題を惹起するのであって、そのような世界観に立って、人の真の教育ができるとは思えないのである。

○ もう一つ言っておきたいことがある。日本の伝統仏教教団で組織する全日本仏教会「全日仏」に加盟する仏教教団、すなわち日本の仏教教団の全てが、例外なく靖国神社の国家護持に反対をしているということです。

○ またもう一つ。
天皇の歴史が何千年あるか知らないが、伊勢神宮に天皇が参拝した始めは、明治天皇の参拝をもって嚆矢とする。
またこれまでの歴代天皇の葬式は、京都の泉湧寺(せんにゅうじ)で仏教式で行ってきたのであって、神道形式の葬儀は、明治天皇・大正天皇・昭和天皇の3人だけである。

○ ついでにもう一つ指摘しておきたいことがある。明治天皇が始めて伊勢神宮をお参りしたのであるが、御神体と言われている「鏡」は大和朝廷が中国に朝貢し貰って来たものではないのか?中国製品に手を合わせて日本人として恥ずかしくないのだろうか?

また宮中や神社で奏されている雅楽は、仏教音楽であって、仏教伝来とともに中国・朝鮮半島を経由してもたらされた物である。例えば敦煌の壁画などを見れば、雅楽で使われる楽器のすべてを、天人が奏している壁画を見ることができる。
Posted by 通行人B at 2008/10/11 23:30
実際本願寺派で教師資格持ってるけどさ
俺は自分の宗派の教義は素晴らしいと思ってる
でも正直今の本願寺は好きじゃないね
神道の問題にしても、戦時中の話にしてもやり方がいやらしい
清め塩の件についても靖国訴訟に関しても自分の宗派内でのやり方を人に強制するとかどうかと思う
靖国の話ってさ、合祀云々こそが問題であってそこから先はただの神道いじめだろ
関係のない神道系列まで一緒くたにしてる感があるし、俺の前の人も本派の人だろうけど神道をやってる人間に教義を押し付けるとかどうよ
伝道の講義とかでよく聞いたけど、そういう「教義と違うから否定」の態度が真宗の問題なんじゃないの
後同じ様に揚げ足取るのは嫌だが前の人の言う「信心」って少なくとも俺が聞きしっている真宗の「信心」じゃないけどそれ何処で聞いたの
レポート作成で靖国問題探してたらここに来て、コメントする気はなかったけど真宗の人間が皆同じみたいに思われるのが癪でコメントさせてもらった
長文ごめんねブログ主

Posted by 僧侶じゃないよ教師だよ at 2010/07/22 09:39
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