2006/12/05

二つの宗教観と政治・経済の右左

 日本人がビジネス戦争の土壇場で負ける理由は、国家に対する帰属意識と宗教観の無さでしょう。
 ビジネスの糧の本質は通貨です。
 通貨は国家です。
 国を売り飛ばして迄稼ごうとするバカは先進国で日本人だけです。
 だからユダヤ人に負けます。

 ユダヤ人とは、ユダヤ教の思想哲学を持つ、イスラエルという国をカネで作った白人です。
 ユダヤ人とは本来、黄色人種若しくは黒人と言われています。
 古代ユダヤ人は、他民族からの侵略にあった際、最後迄戦って守ろうとはしませんでした。
 そうしてユダヤの流浪の商人は、やがて流浪の(難)民となり世界へ散らばって行きました。
 そして現代、其の宗教思想だけを引き継ぐアメリカを乗っ取った白人達によって、再び国家を手に入れようと建国されたのが現イスラエル国です。
 言わばイスラエルの絡む地域紛争は、国家喪失のリバウンドの様なものです。
 従って、国を失うとはどういう事かを数千年の怨念を持って知っている彼等は、世界で最も国家に対する執着心が強い宗教一体の国家主義者と言えます。
 そんな集団を相手に勝てると思いますか?

 別にユダヤ人の様になれとは云いません。
 只知っていて貰いたいのは、世界には風土から派生した土着系宗教と哲学者や思想家から派生した覇権系宗教の二つがあり、前者は精霊信仰等の日本で云う所の神道、後者は世界二大宗教である仏教とアブラハムがあるという事です。
 因みにアブラハムとはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の事です。
 そして其の後者には、伝道師や宣教師と云った者による「布教活動」が伴う言わば「攻めの宗教」であり、其の際の異教徒との接触によって異文化交流による文明の発達、摩擦が生ずれば紛争や戦争へと発展します。

 「日本だって他国へ侵攻したじゃないか」
 仰る通り。
 其の神道は「復古神道」と云い、儒教学者といった後者の覇権系宗教に属する者等によって、同じくキリスト教の様な天皇を頂点とする国家体系にしようと作られた、明治憲法という名の教義を持つ「覇権宗教」だからです。
 無論其の御陰で明治維新という時代の変革を成し遂げる事が出来ました。
 こうした事例に限らず、日本で起こる行動右翼的テロを含め、其の殆どが仏教を源流とする覇権系宗教徒によるものです。
 本来土着系宗教は、唯一神、一神教では無く、他の宗教や神の存在を認め受け入れています。
 従って場合によっては、軍事的ハード・パワーを持ってせずとも異教徒の介入がし易いわけです。
 更に土着信仰は其の風土に住む場の空気感で只何となく出来たものであり、覇権系宗教の様な一人の人間が提唱した哲学や思想によるものではない為、教典や聖書といった教義が存在しません。
 従って、土着信仰は空気の様な感覚的繋がりで人間コミュニティが成り立っている為、教義の様な人心掌握のロジックに耐性が無い為非常に影響を受け易く、ソフト・パワーの侵略にも弱いという側面を持っています。
 つまり「土着系宗教は哲学系宗教からの外圧に弱い」という事であり、此はもろに日本の国民性として反映されており、其の自覚が無い事が如何に危険であるかがわかるでしょう。
 だから日本が「八百万の神」の多神教だからと言って、一神教を同列に扱う事は、己の多神教思想其の物を忘却するに等しく、又一神教は一神教思想を信じているから故に一神教なのであって、本来相容れる関係に有る筈が無いのです。
 地球有っての人間です、哲学系宗教に何を選ぼうとも、日本に生まれ育ちDNAを継承し生活している以上は風土派生、ベースにある土着信仰を蔑ろにしてはいけません。
 「大地のパワー」は「環境力」であり、即ち「地政学的パワー」で、此こそが「日本は恵まれている」「日本に住んでいるだけで勝ち組」と云われる所以、事の本質なのですから。

 仏教は日本から見れば外来宗教ですが、現代では自国の宗教であるかの様に幅を利かせているでしょう。
 手塚治虫『火の鳥』でも仏教徒との小競り合いや紛争が描かれていますが、権力者にとっては仏教の人心掌握のロジックは魅力的な為、戦国武将を始め自ら仏教徒へと転身し民間へ波及させました。
 そして現代、従来国家の軍隊組織体系止まりだった其の人心掌握のピラミッドの概念は、松下幸之助によって民間企業でも実践され、企業体組織の素として世界中へ波及されました。

 此の様に、日本で変革を為すダイナミズムを生もうとする時や、組織の規模を拡大する際に用いられて来たのが仏教思想なのです。
 此が日本の平和的ハード・パワーを支える経済左翼の本質であり、磁石のN極とS極同様に政界(右翼)と財界(左翼)は切り離せず、又其のバランスが崩れると共倒れになるわけです。
 無論、左翼がもげれば国際競争力は無くなりますが、自国という帰る場所は残っているので、自給自足の原点に立ち戻ればいいだけです。内乱は避けられないでしょうが。
 一方右翼がもげると帰る場所が無いので、国際競争の名の下に形振り構わず領土やマーケット・シェアの拡大の為に侵攻するしか有りません。
 此はM&Aで図体を大きく見せ虚構を重ねるのと一緒です。
 言うなら後者が大日本帝国の取った道で、前者は・・強いて挙げるならガサラキで西田先生が取った道でしょうかw
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Posted by Virtue at 22:21 | 静岡 ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | 論文用
この記事へのコメント
近代主義の歴史は、覇権系宗教史とパラレルであった事は確か。仏教も同じ覇権系宗教であっても、西欧型近代主義(悟性中心主義)とは別物では?西欧知識人が何故‥に「無」の呪縛から遁れて「空」の思想に至るのか。仏教諸派を「覇権系宗教」として一括りするには無理があるようだ。
ただ、仏陀が近代主義の陥穽を認識していたかどうかは定かでない。だが、西欧近代主義を結果として超えちまった坊主は存在した。
ユダヤも仏教も知らなすぎる日本人という、筆者の世俗止観に理はある。
Posted by 稲垣尚 at 2007/02/26 11:10
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