2007/07/04

聞屋が久間の言葉尻を取り、大衆は其の見出しに反応し、テレビ屋が其れを拡大させた

 此に尽きるのではないだろうか。

 「しょうがない」は単に「仕方無い」ではなく、「残念」「無念」終戦が早まったのは原爆投下だったとは皮肉だがという趣旨で話している。
 よって久間発言は、真実の真偽では「偽」だが、事実問題の有無では「有」ある。
 尤も其れ以前にアメリカは「天皇が敗戦宣言しようとしてるからさっさと落とせ!折角作ったのに実戦データが取れんだろ!!」というのが実際の所だと思うが。

 久間は言葉尻を取られる危機感を持たずに発言した責任がある。
 聞屋は時期と結末を想定せずに報道した責任がある。
 大衆(長崎方面)は見出しに飛び付き真実を蔑ろにした責任がある。
 政治家は大衆の程度を見越して迎合したり煽動して真実を蔑ろにした責任がある。
 テレビ屋は聞屋親会社である身内ブレーンで擁護した責任がある。

 此では誰一人、一向に成長しない。
 今回の件でもわかった通り、一政治家の権力なんぞ公称800万部の朝日新聞の威力からすれば屁でも無いのだ。
 メディアは先ず報道を監視する義務が国民にあると宣言しろ。

 特に問題が有るのは見出しで焚き付けた聞屋だろうが、結末を考えたかについては、久間潰しという政治意図を持ってやっていたとしたら大成功だろう。
 目を引く見出しというのは、2ちゃんねるのスレタイでも自分のブログのタイトルでもある事だが、実際問題、見出しに嘘を書いて本文で「嘘ぴょーん」とするのは自由だ。
 だからといって己の規模も考えずに時と場合を選ばずにやるのは問題が有る。
 例えば、誰もが自由に配信出来るインターネットと言ったって、自分のブログなら読者数は三桁有るか無いか程度、中には本文迄意図的に嘘を書いてネットで広まったら削除してアクセスを稼ぐというブロガも居るが。
 2ちゃんねるの読者の場合は桁違いでも、執筆者は未定だしヘッドラインよりボディ、もっと言えばソース主義で耐性は相当有る。
 しかし其れ等はインタネットを駆使出来る若年層が中心で、ディジタル・ディバイトとは死語かもしれないが、情報格差で満たされない大多数を補っているのは紛れも無く新聞やテレビだ。
 そして其の新聞は何を書いても自由で放送法の様なルールも無いから、訴えられさえしなければ結果オーライ。
 此が曲者で言わば構成作家の様な役割をし、テレビ屋が聞屋のネタに便乗すれば責任の所在を暈かしつつ飛び火させられる。
 従って日本特有のテレビ局の成り立ちがどうであれ、聞屋とテレビ屋は独立性を保つべきで、業務提携も生い立ちを考慮しテレビ朝日は朝日新聞以外、TBSは毎日新聞、聖教新聞以外、日本テレビは讀賣新聞以外、フジテレビは産経新聞以外と組まなければいけないといったルールにすべきだ。

 特に今回の騒動については政治屋とテレビ屋の影響が大きい。
 今回の見出しの朝日新聞にしても、悪意が有ろうと無かろうと、表面的には「既に野党からそう取られて波紋が広がりつつあるよ、久間さん大丈夫?誤解されかねませんよ?」としつつ、一応全て解説している。
 まぁいつものやり方だが、証拠は確かめ様が無いし野党に朝日が一としてカウントされるなら尤もだろうし。
http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200706300263.html
久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」
2007年06月30日22時23分

 久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。原爆投下を正当化する発言とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。

 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。
 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。
 久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。
 安倍首相は同日夜、遊説先の香川県丸亀市での会見で久間氏の発言に関して「自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるとの被爆地としての考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている。核を廃絶することが日本の使命だ」と述べた。

     ◇

【久間氏の発言要旨】
 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。
 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。
 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

 つまり「我々はちゃんと書いている、其れで誤解が生じたとするならば、其れは読み手に読解力が無い」という事だろう。
 但し其の見出しをネタに利用しようとする読者が、野党連中で五万と居るわけだがw

 選挙前とは言え、永田町及び長崎とメディア対其の他というギャップが有りにも大き過ぎる。
 野党が其れを口実に大衆を扇動し潰しに掛かるのはいつもの事だが、与党で特に公明党が創価学会員に迎合して私欲で動いたのは大きい。
 無論自民党の一部も大衆を見越して封殺しようとした節がある。
 どうせ辞めようと辞めまいと、将又死のうと非難は浴びるんだから、不本意であれさっさと辞めたのは利口なやり方かもしれない。
 どうせなら、「原爆投下がしょうがないなんて言ってねーだろ!」と一旦ブチ切れて様子見し、メディアリテラシ上、国民にとって一番利益に繋がる手段として配慮し、辞めるなら「やってられるか!!」と捨て台詞の一つも吐いてくれた方が目が覚めるかもしれない。

 詰まる所、情報配信の規模が一定だった場合、活字は真実を語るのに向いているが浸透には時間を要し、映像は短時間で事実を見せるのに向いているが、真実は一方的に流れて考える間も無く終わるという事なのだろう。
この記事へのコメント
オーナーさまへ、文屋て誰ですか?もしかして聞屋(ぶんや)のことでは。「文屋」の文字が出ていたので私としてはドキッとしましたので、コメントをさせていただきました。文屋
Posted by 文屋 博安 at 2007/07/11 11:36
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