2007/12/08

回顧録:コリン・マクレーとノリックの死去

 オンタイムで書けなかった最近の出来事を回顧する。

 マクレーは衛星のWRC専門チャンネルでは字幕スーパーでニュースが流れたそうだ。
 ヘリやバイクも乗りこなし、WRCでは「マクラッシュ(壊し屋マクレー)」と呼ばれどんなに派手にクラッシュしても平気だったあのイギリス・スコットランドの英雄、ナイトの称号持つスバルのエース王者マクレー(39歳)が、よりによってヘリの墜落で事故死とは・・・

http://www.subaru-msm.com/news/070916.html
訃報 コリン・マクレー、ヘリコプター事故で他界
2007.9.17
2007年9月15日(土)、スコットランド・ラナーク近辺にてヘリコプター事故が発生し、同ヘリコプターの所有者で搭乗し操縦していたとみられる元WRCドライバーズチャンピオンのコリン・マクレー(39歳)の死亡が確認された。SUBARUのWRC活動において多大なる貢献を残した同氏逝去の報に接し、SUBARUワールドラリーチーム(SWRT)のマネージング・ディレクター、リチャード・テイラーは、次のように哀悼の言葉を発表した。

「日曜日に公表されたコリン・マクレー死亡という悲劇の報に際し、SUBARUワールドラリーチームの全員は衝撃を受け、動転している。コリンは、SUBARUの最初のワールドチャンピオンであると同時に、ラリー競技を世界中の多くの人々に広めた功績をもつ男である。彼はかつてモータースポーツファンを元気づけ、SWRTチームの多くのメンバーの大切な友人であり続けた。この深い悲しみにあたり、彼の妻アリソン、そして残された家族に心からの哀悼を述べたい」

また、SUBARUのモータースポーツ活動を統括するSUBARUテクニカインターナショナル(STI)の代表取締役社長、工藤一郎は次のようにコメントした。

「コリン・マクレー氏は、SUBARUのWRC活動を世界に広めてくたれ立役者であるとともに、SUBARUの勝利に惜しみない力を発揮してくれた、かけがえのない仲間のひとりです。特に、SUBARUにもたらした最初のWRC優勝、そしてその後の3年連続マニュファクチャラーチャンピオン獲得の偉業は私たちの宝であり、氏の名前とその名誉は将来にわたってSUBARUの社史に深く刻み込まれることでしょう。近年では氏の絶大なる知名度によりアメリカでのラリー人気が急速に拡大している、と聞いていました。天に召されたコリン・マクレー氏の死を悼み、心からご冥福をお祈り申し上げます」

コリン・マクレー(英国スコットランド出身)
1968年生まれ 享年39歳
WRC参戦数 : 146 1995年WRCドライバーズチャンピオン
WRC優勝 : 25勝 (内レガシィ1, インプレッサ15)

1986年からラリー参戦を開始。世界ラリー選手権(WRC)初参戦は1987年のスウェディッシュ・ラリー。SUBARUに才能を見出され1991年にSWRTに加入し、SUBARUレガシィを駆って1991年・1992年の英国ラリー選手権を制覇した。1993年のニュージーランドラリーで自身とSUBARUにとって初のWRC勝利を飾る。1995年には英国人初、史上最年少でのWRCドライバーズチャンピオンを獲得し、SUBARUも初のマニファクチャラーズタイトルを獲得する。1996年は3勝、1997年は5勝を上げ、SUBARUのマニファクチャラーズタイトル3連覇に貢献した。1996年にはエリザベス女王より大英勲章第五位(MBE)を受勲した。
1999年シーズンからフォードに移籍し、4年間の在籍期間で9回のWRC勝利を追加した。2003年には一年間シトロエンからフル出場し、2005年9月のラリーGBと11月のラリー・オーストラリアにはシュコダ・ファビアWRCでスポット参戦した。2006年10月、シトロエンのセバスチャン・ローブがトレーニング中の骨折で欠場したため、13戦トルコに代理参戦。これがマクレーの最後のWRC出場記録となった。2006年には米国Xゲームズの新ステージ「ラリー」にSUBARUインプレッサで出場し、2位フィニッシュとなったが、全米にライブ放映されたマクレーの圧倒的な速さは注目を集めた。


 ノリック(32歳)もホント、詰まらない死に方に・・・
 500ccのビッグ・スクータ(ヤマハ・T-MAX・黒色)でUターン禁止違反のトラックと衝突したそうだが、本当に急な事だったんだろう。
 障害物を発見した時に一体どれ位のスピードを出していたのか迄はわからないが、事故車を見る限りは綺麗なフルラップ衝突、潰れ方。
 即死ではなく、暫く左胸を押さえ「痛い、痛い」とのたうち回っていたそうだ。
 従って衝突の瞬間は恐らくそんなに速度は出ていなかったと推測出来る。
 だからプロとしてギリギリの状態でのブレーキングで姿勢も左右にブレる事無く真っ直ぐ突っ込んだんだと思う。
http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/release/2007/10-08/index.html
阿部 典史選手の訃報について2007年10月8日
 「Y'S GEAR Racing」(ワイズギア・レーシング)から今シーズン、全日本選手権JSB1000クラスに参戦していた阿部 典史(あべのりふみ/32歳)選手が、10月7日午後6時20分頃、神奈川県川崎市で二輪車を運転中交通事故にあい、午後8時50分頃治療先の病院で亡くなりました。

 阿部選手は1993年史上最年少で全日本最高峰500ccクラスのチャンピオンを獲得。翌年94年も全日本スーパーバイク選手権に参戦していましたが、シーズン途中にヤマハに移籍、同時に世界選手権500ccクラスに参戦。1995年からフル参戦を開始し、優勝3回、2位4回、3位10回などと活躍。今年は全日本選手権に復帰して活躍するほか、7月の鈴鹿8時間耐久レースに初参戦。国内外モータースポーツ振興を牽引する人材として多くのファンから親しまれていました。

ヤマハ発動機株式会社 代表取締役社長 梶川隆:
 「この悲報に接し、深い悲しみでいっぱいです。阿部選手は日欧米やアジア諸国はもとより世界のファンの皆様から親しまれ、世界のモータースポーツ界を代表する貴重な人材でした。今年は14年ぶりに日本国内でのシリーズ戦に参戦することになり、国内のファンの皆様から改めて期待が寄せられていた矢先のことで残念でなりません。ここに阿部選手の他界を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます」

阿部 典史選手のプロフィール
出  身/ 東京都
生年月日/ 1975年9月7日
2007年の所属チーム/ Y'S GEAR Racing(ワイズギア・レーシング)
主な成績
1993年:全日本選手権GP500 チャンピオン
1994年:世界選手権GP500 デビュー
1995年:世界選手権GP500 ランキング 9位
1996年:世界選手権GP500 ランキング 5位 (日本GP優勝)
1997年:世界選手権GP500 ランキング 7位
1998年:世界選手権GP500 ランキング 6位
1999年:世界選手権GP500 ランキング 6位 (リオGP優勝)
2000年:世界選手権GP500 ランキング 8位 (日本GP優勝)
2001年:世界選手権GP500 ランキング 7位
2002年:世界選手権MotoGP ランキング 6位
2003年:世界選手権MotoGP ランキング 16位(スポット参戦)
2004年:世界選手権MotoGP ランキング 13位
2005年:世界選手権スーパーバイク ランキング 13位
2006年:世界選手権スーパーバイク ランキング 13位
2007年:全日本選手権JSB1000ランキング3位(第6戦終了時)

 御二方の御冥福をお祈りします。
Seesaaタグ
Posted by Virtue at 16:51 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車
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