2005/11/29

連想用日本風土派生図<中級・道徳不要編>

 図5の国民を取り巻く法律に注目して貰いたい。
 法律には、人間の行動について一挙手一投足迄事細かく指示されているわけではなく、飽く迄国民が円滑な生活をしていく為の仕様に過ぎない。
 つまり国民は、法律に囲まれ守られて生きているが、其れだけで倫理観が芽生えてると思ったら大間違いで、即ち国民である前に人々であるという事が、図からもわかるはずだ。
 つまり「法律が守れない」という犯罪が多発するような世の中は、法律を厳しくして多少の成果が出たとしても根本的な解決にはならない。
 そうなると直ぐ政治家達は「道徳教育」言い出すが、「道徳って何だよ」と突っ込まれ道徳そのものの議論で終始する。

 道徳は抑も儒教が由来であって、儒教は仏教や道教等の教義によって体系付けられた哲学系宗教思想である。
 また儒学は其れを解釈した或いは解釈しようとする学問であり、朱子学は朱子という人物が、其れ等全てをひっくるめて再構築仕直した儒教の亜種である。
 即ち、精神の在り方迄を法律の如く活字で一々記したり、また其れを教えるという事は、日本人の倫理観そのものを狭め、貧弱にしているに等しい。つまり導入編で述べた様な活字馬鹿の事態が起きるようになる。
 もし此が、図1−3に至る迄の間で民間に広く取り入れられていれば、仏教の様に使える面は取り入れられているだろうが、現代に教義的な精神論を国策として取り入れても、単なる小手先対策に過ぎない。
 歴史背景の違う成り立ちのものが、主軸として図4の学問へ整合性を以て当て嵌るわけがないのだ。
 実際、過去の歴史に於いて、儒教を何度か国策として取り入れる試みがされて来たが、支配層では重宝されても国民末端に迄深く浸透する事はなかった。
 寧ろ支配層に広まった弊害の方が大きく、過去、儒教を元に国民への急激な復古的強要や粛清が行われ、また儒教が抑も(中国)大陸の歴史から派生した思想であるが故に、特亜外交に於いて其の大元である中国に日本の支配層そのものが支配されるという、まさに「ミイラ取りがミイラになる」様な状況が現在の官僚組織に悪しき習慣として残っている。
 戦後、日本という国を捨て、共産主義国の右翼として無批判に中国や朝鮮の発言を垂れ流し、論語を翳しては叱りつける某新聞社も同じだ。
 つまり国がする事ではないという事だ。

 我々は、日本人であって宗教観念の主体は神道である。
 其れは上位へ図を辿ればわかる。
 民俗宗教は即ち神道の元であり、其れ等の流れから決定付けられる注目するべき点は、神道として体系付けられても他の宗教と違い、儀礼はあっても教義が無い事、此に尽きる。
 即ち日本人が風土に則った生き方をするという事、其れそのものが神の道であり、神道なのである。

 話を戻すが、法律が守れないのであれば、法律が成立している立法・司法・行政の3ファクタを確認すればいい。
 一番に想像が付くのは行政の無駄金に関する非道ぶりでしょう。
 だから上位の政治が見直されている、そしてもう一上位の自治。そう、地方自治の重要性に気付く。
 更にもう一上位は住になる。住宅ブームやリフォーム、耐震の見直し等々。
 直接的なセクタを辿ったが、当然上位の関連セクタも影響している。

(つづく)

Posted by Virtue at 15:26 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
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