2006/04/02

嫌韓流よりソニー病

 嫌韓流は読む機会があったので読みましたが、よく出来てますよ。

 実は表紙の「韓国にはもう謝罪も賠償も必要ないんだ!!」っていう台詞が、「今まで謝って来たんだから」と開き直りというのか、弱虫の連帯意識の確認ぽくて、「本当にわかっているのか?」と疑問を感じていたのでずっと読んで来なかった。
 まああんな本は、元々知韓派が喜んで買っているだけだと思うけどね。

 そんな事より、ソニーが何でそんなに嫌われているのか。


 此を読んだら全てわかります。
 数百冊にも上るソニーのソニーによるソニーの為の自作自演・自画自賛本多発の中、唯一と言っていいぐらいの真のソニーを語っている貴重な本。
 ソニー一族や幹部、日経を筆頭としたメディア操作やネット工作に至る迄、ありとあらゆるソニーの実体が網羅されています。

 ソニーが嫌われている(団塊世代を除く)理由を知らない人、不思議に思っている人、只のゲーオタの叩き合いと思っている人は絶対にお勧めです。

 因みに本にもありますが、「GATE KEEPER」は実在します。
 此は都市伝説ではありません。
 僕自身、確認しており、ログも保管しています。

 更に更に、『メガスター』で一躍有名になった、プラネタリウム作家の大平貴之氏はソニー出身。
 以前、彼の生涯がテレビでドラマ化され、見た人も多いと思います。
 劇中出て来た会社員時代の話、即ち彼の才能を見出せなかった上、技術が世界で評価された途端に乗っ取りを掛けようとした職場が、実はソニーであった事は言う迄も有りません。
2008/08/24

東洋経済新報社『地頭力(じあたまりょく)』は何故一瞬で死語と化したのか

 ビジネス系自己啓発ネタに熱心な人の間で火が着き一瞬で消え去った地頭力
 抑も何故ブームの担ぎ上げに失敗したのか。

 先ずボラティリティ、サラリーマン人口の減少が大きい。
 昔であれば当時現役サラリーマンだった人口の多いしかも活字馬鹿の団塊世代が、其れこそピンからキリ迄読んでいた。
 そして挙ってビジネス用語を口にし広く波及した。
 しかし今では正社員は所謂勝ち組と呼ばれる程の希少な存在。
 確かにネット上のインテリ層が書くブログの間だけでは、著書で取り上げられるフェルミ推定と共に一瞬だけ盛り上がった。
 しかし其れは日記に割かれる今日の出来事の1ページに過ぎなかった。
 つまり経済誌がマーケティングをミスった訳だ。

 更にネーミングの悪さ。
 火付け役の実行者となった著者こと細谷功氏曰く、著者の居るコンサルティング業界では以前から使われていた言葉だそうだが、一体何処の分野のコンサルティングだろう。
 確かモノ作りの衰退が叫ばれ始めた頃に、素材の土台となる『地金(じがね)』になぞって付けられたと製造業で聞いた気はするが怪しい。
 まるで「実際に私の知り合いの男性、 女性が使っているのをあちこちで聞きました。」と言い張り、『アベする』という言葉を流行語に仕立て上げようとした朝日新聞コラムニストの石原壮一郎なみの胡散臭さw
 抑もコンサルタント自体が胡散臭い存在ではあるが、要は「学は無いが自分の頭の良さや能力の高さを解り易くアピールしたい」という学歴コンプレックスや、逆に高学歴者故の先入観から其の能力をアイデンティティとしてちゃんと正当に評価してもらえないといった中で苦し紛れに出て来たシンボリックな言葉が「じあたま」という言葉だったのかもしれない。
 こういう学歴の価値観に伴うコンプレックスは、団塊世代からバブル世代、団塊ジュニアの前半に掛けてあるわけだが、コンサルタントという独立心の高さから察するに著者はバブル世代といった所だろうか?
 まあ何れにせよ使用歴の実態が本当か嘘かは別にしても、本来なら既知の呼び名に当て字でネーミングするのがセオリーだ。
 つまり造語した単語に対し、他で名の通った読みを付けたり似せて当て読みさせ誤記を装って注意を引き注目させる。
 所が「地頭(じとう)」という既知の単語に対し、読みだけを換えた造語では、注意を引くどころか普通に「地頭力(じとうりょく)」と読まれスルーされてしまう。
 要は「元からある言葉を態々読み辛い読みに替えさせ世間に広く定着させる為に、一体どれだけのエネルギを要するか」という話だ。
 特に活字馬鹿の団塊世代は、誤読を其の侭貫き通して定着させるパワーを持っている。
 国会中継が始まったばかりの頃、政治家達が堂々と「早急」を「そうきゅう」と答弁する姿が頻繁に流れ、当時の子供達(団塊ジュニア)や国語教師等から散々突っ込みを入れられたものだが、政治家のおっさん達はゴリ押しで使い続け、いつの間にかNHKのガイドラインも変更され普通に使われる様になってしまったなんて事もあった。

 そして極め付けは「何でもかんでも自分一人で抱え込んでやろうとせず、人に仕事を任せよ」というビジネス書には必ず書いてある、「時は金なり」に基づいた雇用創出と組織形成法から逸脱し、フェルミ推定の推奨に絡め能力開発で引っ張ろうとした事だ。
 抑も地頭力なんていう能力は一朝一夕で開発出来るものではない。
 ましてや40-50を超えたオッサンが仕事の片手間にトレーニングで身に付く事でもない。
 正に『脳トレ』ブームの二の舞いだ。
 即ちビジネス手法の王道からすれば、「自分に地頭力が無ければ有る者を使えば善い、組めば善い」という事だ。

 こうしたマーケティング、ネーミング、ワークシェアリングといったビジネスのセオリから逸脱する初歩的ミスを、三大ビジネス系出版社の一角がやらかしたのだから痛い。しかも小学館の二番煎じで。
 自社の出版した本すら真っ当に売れない会社がビジネスの本を書いたって、説得力の欠片も無いのだ。


2008/08/26

何故あの会社はメディアで紹介されるのか?―PR最強集団のTOPが教える55の法則 (単行本)


 多くの商売人、宣伝に携わるビジネスマンには、ちゃんと購入して精読する事をお勧めする。

 奇を衒った内容ではなく、飽く迄日本国内で未開拓の分野を正攻法で行って来た内容が記されているので、速読や流し読みで読んだ気になる癖が身に付いてしまっている人間には何も残らないと思う。

 著者がどんな人間かは知らないが、語彙が豊富で本を沢山読んでる感じが窺え、バブル世代の見本みたいな社長だと思った。
 勿論推敲能力も高く宣伝屋らしく文章表現が的確で語感が鋭い。

 論理的に書いてあるが、飽く迄実体験に基づいた事後分析による物なので、読み手は寧ろ理論派より社長の意気込みを理解出来る実践派向け。
 ビジネス本は実務で使えてなんぼなので、従って本書を読んで共感出来るか否かの読者との温度差の無さ、近さがポイント。
 そういう前向きな人間には、読む度フラグがピコピコ立ち過ぎ中断しては空向いて考え、中々前に読み進めないかもしれない。

 何れにしても著者である社長にとっても現在進行形の挑戦中であり、成功談による完成形の保証ではない。
 寧ろ此れからのビジョンをPR屋らしく、当然の如くアピールする内容にもなっている。
Seesaaタグ
Posted by Virtue at 07:23 | 静岡 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 立ち熟読破で書評
2008/09/17

ラクをしないと成果は出ない (単行本(ソフトカバー))


 ちょっと此の本の話になる前に聞いて欲しいんだが、こういうビジネス書籍の棚に並ぶ様なレファ本?リファ本?の良い所、というか読む、完読破するか否かを決断する為に見分けるコツは、先ず目次をちゃんと見る事である。此れに尽きる。
 別に人から教わったわけではないが、本を全く読まない自分が片足立ち読みで効率的に熟読する為に出た苦肉の策の末の発見、そしてアイデアプロセッサでブレストしていていて気付いた事だ。
 抑もアイデア・プロセッサの大元は執筆をする為のアウトライン・プロセッサだから当然だろう。
 そして目次って只の飾りじゃないんだなと、大人になってから気付いたのである。

 目次は、目を通した時に共感し納得し自分の中に既にある情報と認知していた、若しくは気付いて其れをメンタリティとしてキープ出来るのであれば、立ち読みだけで十分で態々買って読み進める必要の無い活字情報媒体であると判断出来る。或は資金的にも保管場所にも余裕が有り、良い本だからと良心の呵責に駆られ買うのも自由だし、人にプレゼントするのも良いだろう。
 そして共感出来ない場合、納得したいから買う人もいれば納得出来ないから買わないと判断する人も居る。
 という様な利用の仕方が出来る。
 そして思う事は、目次がしっかりしている本はリファレンス本として的確、即ち内容は別にしても書き手は優秀であるという事だ。

 さて本題に入るが(本だけに)、本著は目次に目を通した時に鉄則の100項目全てに共感し納得というより全てを見通せたので不要だと思って購入する価値は無いと判断した。
 何故なら、自分のビジネスパートナが其のまんま本から抜け出した様な人間だからだ。
 だから敢えて言おう、著者は血も涙も無い冷酷非道な鬼畜であるとw
 ハッキリ言って此の本を読む事によって行動し成果を出す事は相当難しいだろう。
 こう言う人間は環境や持って生まれた素質で決定付けられる物だと思う。
 其れが“生き様”という奴であり、実体験に基づいた結果論が偶々非の打ち所が無いぐらい正しかったという事なのだ。

 従って自己啓発本のビジネス・カテゴリの書物としては、リファレンスとして100点満点だが、実践して使えて何ぼのハウツー本のビジネス書としては限り無く0点に近いのではないかと思う。
 つまり100の鉄則とは、言わば100守ってこそ意味が有る“鉄の掟”なので0か100しか無い「堅気が下手に手出ししたら怪我するど」という事なのだ。
 こんなの中途半端に真似たら人間の屑呼ばわりされて友達を失うぞ。
 敢えて言うなら「家族だけが大事で他は皆敵」みたいなガチガチの欧米型ビジネスマンの生き方と言える。
 だからこんな生き方をして現金な成果が出せても、松下幸之助や稲盛和夫クラスの所謂“成功”と呼べる大企業へとは成長させる事は出来ない。
 何故なら周囲、即ち日本社会が其れを受け入れてくれないからだ。
 つまり「意固地な自営業止まり」で、其れも個人主体の作家や画家やフリーのライタやカメラマン等のジャーナリストといった狭い職業に限定される。
 確かにこうしたレベルで成果を上げている連中は気違いが多いし、其の自覚も有るだろう。
Seesaaタグ
Posted by Virtue at 20:35 | 静岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 立ち熟読破で書評

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