2005/11/24

連想用日本風土派生図<定義編>

連想用日本風土派生図

 図は大きく5ブロックに分けられ、各ブロックは3ファクタから成る7セクタで構成されており、図1>図2>図3>図4>図5の内包関係にあり、それぞれのセクタも各位置に相当し、外周から中心部へと集約される。



図1
文化

 風土とは、地質・気候・地形をプラットホーム(=基盤)とする自然との連係であり、其の環境に囲まれて生きる人々によって習慣化の大枠となる文化(風俗)が形成される。



図2
習俗
 
 文化(風俗)とは、食・衣・住であり、其れに関連する作法(仕合わせ)が生まれ、また其れが習慣化されたのが習俗(風習)である。



図3
文明

 習俗(風習)が発達すると、労働・言語・自治が確立されて行き、また其れ等を円滑に進める為に礼節が生まれ、其れが広く習慣化されると文明へと発展、その祭事が神道の原型であり、其れを司るのが後の天皇の原型である。
 従って神道は国教であり、天皇とは現存する世界最古の芸能人であると言える。



図4
国家

 文明は、労働が経済、言語が学問、自治が政治へ、そして礼節は画一的な儀礼へと変化して行き、国家という共同体が形成されて行き、そして他国第三者である中国によって我が国は国家であると認知され、体系化された信仰を宗教であると自覚し神道となり、天皇という称号及び皇統継承法を倣い今日に至る。



図5
国民

 国家とは、立法・司法・行政が基盤となっている。
 立法の本質は、共同体を運営させる為に経済的活動から税として効率よく資金を調達するところにある。
 従って国会議員と経済活動の長たる企業経営者は切っても切り離せない関係にあると言えるわけだが、其の税のバランスを考え法を定立させるのが立法機関の国会である。
 そして共同体運営の本質は自治であり、政治として法を施行するのが即ち行政で、其の機関を束ねているのが内閣である。
 そして司法は学問・言語を駆使し法に則って其れを適用するという、法を司りし人が人を裁く場が司法機関の裁判所である。
 また其れ等三権は法律の鎖によって相互補完仕合って繋がり、国民の共通認識のお約束事として守り護られている。
Seesaaタグ
Posted by Virtue at 17:12 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
2005/11/26

連想用日本風土派生図<導入編>

 各ブロックと各セクタを現在の状況に照らし合わせていくと何処に問題があるかが、一目でわかる。

 殊に日本は島国であるのが幸いして、戦争や紛争等の影響で大きな民族移動や入れ替わりが行われておらず、非常に素直な風土派生が行われている。
 従って我々は一々事細かく議論しあったりしなくても、ツーカーの仲、即ち同民族故に空気感で通じ合う面が大きく、其れが外交面でのハンデになってるわけだが、“連想用”とされているのはその為で、日本人なら基本的に此の図を見ればフィーリングで掴めると思うが、言葉で一々説明しないと理解出来ない人の為に、というか言葉でしか理解できない人に本質を見抜く力があるか迄は責任持てないが、活字で説明すると其れそのものが連想を限定してしまい、活字馬鹿に「こじつけだ」と言われかねない。
 以降大まかではあるがやってみる。

Posted by Virtue at 15:41 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
2005/11/27

連想用日本風土派生図<初級・前編>

 全セクタを事細かく説明するのは省くが、例えば・・・

 図1気候のセクタを見てもらいたい。
 現在問題になっているのは地球温暖化やヒートアイランド現象。
 温暖化の原因に冷房機の使い過ぎや、また其れ等のフロンや二酸化炭素の影響も含まれ悪循環の原因になっている。つまりこうした気候のバランスや季節感の狂う原因が随所に盛り込まれている。
 図1の気候のセクタは図2では衣のセクタに相当する。
 季節感の狂った服装が蔓延れば、下位の言語に相当する言葉遣いにも影響が出て来る。
 単純に言えば、服装が代われば言葉遣いも変わる。
 何故なら服装は、言語より原始的なコミュニケーション手段だからである。
 クールビズやウォームビズを連想した人も正解です。
 図3の言語が狂い始めると、下位の学問にも影響が出て来る。
 学問は同世代から学ぶわけではなく殆どが、上の世代であり、会話や対話が成立し辛くなれば教育が成立しなくなる。
 そして其の最終的影響は、司法に迄及び、米国同様奇想奇天烈な裁判が蔓延るようになる。

Posted by Virtue at 16:17 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
2005/11/28

連想用日本風土派生図<初級・後編>

 よくあるイデオロギ論争で、国が先か人が先かという話があるが、図から得られる答えは「人一人ではコミュニケーションが成立しないので、国は疎か文化すら築けない。」そして「人々が在って国と成り、国が在って国民と成る。故に人々が国家運営の為に国民をしているに過ぎない。」という事になる。

Posted by Virtue at 15:15 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
2005/11/29

連想用日本風土派生図<中級・道徳不要編>

 図5の国民を取り巻く法律に注目して貰いたい。
 法律には、人間の行動について一挙手一投足迄事細かく指示されているわけではなく、飽く迄国民が円滑な生活をしていく為の仕様に過ぎない。
 つまり国民は、法律に囲まれ守られて生きているが、其れだけで倫理観が芽生えてると思ったら大間違いで、即ち国民である前に人々であるという事が、図からもわかるはずだ。
 つまり「法律が守れない」という犯罪が多発するような世の中は、法律を厳しくして多少の成果が出たとしても根本的な解決にはならない。
 そうなると直ぐ政治家達は「道徳教育」言い出すが、「道徳って何だよ」と突っ込まれ道徳そのものの議論で終始する。

 道徳は抑も儒教が由来であって、儒教は仏教や道教等の教義によって体系付けられた哲学系宗教思想である。
 また儒学は其れを解釈した或いは解釈しようとする学問であり、朱子学は朱子という人物が、其れ等全てをひっくるめて再構築仕直した儒教の亜種である。
 即ち、精神の在り方迄を法律の如く活字で一々記したり、また其れを教えるという事は、日本人の倫理観そのものを狭め、貧弱にしているに等しい。つまり導入編で述べた様な活字馬鹿の事態が起きるようになる。
 もし此が、図1−3に至る迄の間で民間に広く取り入れられていれば、仏教の様に使える面は取り入れられているだろうが、現代に教義的な精神論を国策として取り入れても、単なる小手先対策に過ぎない。
 歴史背景の違う成り立ちのものが、主軸として図4の学問へ整合性を以て当て嵌るわけがないのだ。
 実際、過去の歴史に於いて、儒教を何度か国策として取り入れる試みがされて来たが、支配層では重宝されても国民末端に迄深く浸透する事はなかった。
 寧ろ支配層に広まった弊害の方が大きく、過去、儒教を元に国民への急激な復古的強要や粛清が行われ、また儒教が抑も(中国)大陸の歴史から派生した思想であるが故に、特亜外交に於いて其の大元である中国に日本の支配層そのものが支配されるという、まさに「ミイラ取りがミイラになる」様な状況が現在の官僚組織に悪しき習慣として残っている。
 戦後、日本という国を捨て、共産主義国の右翼として無批判に中国や朝鮮の発言を垂れ流し、論語を翳しては叱りつける某新聞社も同じだ。
 つまり国がする事ではないという事だ。

 我々は、日本人であって宗教観念の主体は神道である。
 其れは上位へ図を辿ればわかる。
 民俗宗教は即ち神道の元であり、其れ等の流れから決定付けられる注目するべき点は、神道として体系付けられても他の宗教と違い、儀礼はあっても教義が無い事、此に尽きる。
 即ち日本人が風土に則った生き方をするという事、其れそのものが神の道であり、神道なのである。

 話を戻すが、法律が守れないのであれば、法律が成立している立法・司法・行政の3ファクタを確認すればいい。
 一番に想像が付くのは行政の無駄金に関する非道ぶりでしょう。
 だから上位の政治が見直されている、そしてもう一上位の自治。そう、地方自治の重要性に気付く。
 更にもう一上位は住になる。住宅ブームやリフォーム、耐震の見直し等々。
 直接的なセクタを辿ったが、当然上位の関連セクタも影響している。

(つづく)

Posted by Virtue at 15:26 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用

連想用日本風土派生図<中級・道徳不要余談編>

 可成り以前、“ダメだダメだ評論家”の代表格とも言える筑紫哲也が勤めるTBS『NEWS23』の特番で、若者から「何故人を殺してはいけないのか」と問われ、其れに答えられなくて、番組終わりに「私はその質問に答えられなかった・・」云々と変な哲学的問題であるかの様に締め括っていましたが、僕は其の時相当ショックを受けました。
 そんな事も答えられないのかと。。
 何故此のおっさんは「法律で決まってるからだ」と言えないのか?
 恐らく「法律で決まってると何でやってはいけないのか?」「法律を何故守らなければならないのか?」抑も「何故そんな法律が出来たのか?」と問い詰められたら答えられなくないのでは?と思った瞬間、筑紫哲也の生き様自体が見えてしまった気がした。

 ハッキリ言ってこんな図を見なくとも、「一々人々がもめたり恨む度殺しをしていたら、社会生活が円滑に成り立たないでしょう」ぐらいの事は言える筈だ。
 と言うと「何故円滑にする必要があるか?」と更に突っ込む人が居るだろうけど、「あなたは私を殺さない。だからあなたも私を殺さないでくれ。という約束を一々個人個人で交わしていたら切りがないので国単位で共通の取り決めにした。」と答えればいい。
 更に「そんな取り決めを認めた覚えはない」と逆ギレされたら「其のお陰であなたは、今の今迄殺されずに生きて来られたでしょ」とトドメをさしてやればいい。
 それでも「いや、殺されずに生き延びる自信がある」と食い下がってくるかもしれない。
 結局、歴史や文化の生い立ちがわかっていないから、「幼少期もなく突然自分の身が守れる様な状態で自分が発生した」的な発想をしてしまうのでしょう。
 つまり自己の発生について先祖代々という概念、其れにも及ばないレベル、食べ物に例えるなら魚は切り身でしか知らない。野菜や果物も原形を知らない。という笑っていれられないレベル迄来ているという事です。

 つまり結局は図にもあるように衣食住に立ち帰る事になる。
 図1に占いと在ります。現在占いブームです。
 其の下位には祭りがあります。祭りの価値についても見直されています。
 つまり我が日本、いや、我が風土は現在、文明そのものの見直しが行われているわけです。

Posted by Virtue at 16:06 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用
2005/11/30

連想用日本風土派生図<上級・中曽根前文編>

 図1から図5を見ていて、現在の状況が図4の宗教と図5の憲法との整合性で違和感を感じた人は居ないだろうか。


憲法
 国家の基本的事項を定め、他の法律や命令で変更することのできない、国家最高の法規範。




日 本 国 憲 法

前 文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第1章 天 皇

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
皇室典範

第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第5条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
摂政(皇室典範)

第6条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7.栄典を授与すること。
8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9.外国の大使及び公使を接受すること。
10.儀式を行ふこと。


第8条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
皇室経済法


 即ち第一章で天皇について明記しておきながら、前文では其の国家が国家たらしめる所以である風土派生に関する明記が一切されていない。
 宗教に関しては、信教の自由を認めてはいるが、日本固有の宗教である神道及び神道と天皇に関する明記は一切無い。
 バチカンに例えるなら、ローマ・カトリックにふれないローマ教皇と同義である。
 即ち神道は、外来宗教同様お客さん扱いなのである。

 そして此が中曽根元首相の前文素案、所謂中曽根前文である。

日本国民はアジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々に、
天皇を国民統合の象徴として戴(いただ)き、和を尊び、
多様な思想や生活信条をおおらかに認め合いつつ、
独自の伝統と文化を作り伝え多くの試練を乗り越えて発展してきた。

日本国は国民が主権を持つ民主主義国家であり、
国政は国民の信任に基づき国民の代表が担当し、その成果は国民が受ける。

日本国は自由、民主、人権、平和、国際協調を国の基本として堅持し、
国を愛する国民の努力によって国の独立を守る。

日本国民は正義と秩序による国際平和を誠実に願い、
他国と共にその実現の為(ため)協力し合う。国際社会に於(お)いて圧制や
人権の不法な侵害を絶滅させる為の不断の努力を行う。

日本国民は自由と共に公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実をはかり
教育の振興と文化の創造と地方自治の発展を重視する。

自然との共生を信条に豊かな地球環境を護(まも)るため力を尽くす。

日本国民は大日本帝国憲法及び日本国憲法の果たした歴史的意味を深く認識し
現在の国民とその子孫が世界の諸国民と共に更に正義と平和と繁栄の時代を内外に創(つく)ることを願い、
日本国の根本規範として自ら日本国民の名に於いて、この憲法を制定する。


 個人的には象徴天皇に関して異論はあるが、其れ以外は至極まともな文言である。
 が、此を小泉首相はバッサリと切り捨ててしまった。

 そして出来たのが此である。

日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重
及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。

日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、
自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。
国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。

日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。


 何ですか此、酷過ぎやしませんか?
 中曽根さんがブチギレるのも無理はない。
 抑も象徴天皇どころか天皇‘制’と謳う自体日本の歴史を無視しているし、悪意さえ感じる。

 結局、憲法を改正しても、神道は疎か風土派生に関する文言は一切含まれず、我が国は相も変わらず自らの生い立ちと向き合う事無く未来を歩んで行く事になるのである。

Posted by Virtue at 16:30 | 静岡 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 論文用

連想用日本風土派生図<上級・モノづくり編>

 風土に基づいた風習や作法による文化的側面から派生する民俗宗教。

 そして‘モノ’は其処に生きる人々によって創造され、日本刀に代表される様に、物に魂を込め、そして物から歴史の蓄積をフィードバック(再確認)するが如く、精神性や破邪の力迄も見出そうとするのが日本の宗教的思想である。
 故にモノづくりを冒涜すれば、物質と魂が乖離し精神が堕落する。

 即ち日本のモノづくりのポテンシャルを100%発揮させるには、日本固有の宗教を無視していては果たされない。
 そして其れは、国造りに於いても同じである。

Posted by Virtue at 17:30 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用

連想用日本風土派生図<上級・国家神道の否定編>

 図を見れば普通に理解出来る事ではあるが、理解出来ない人の為にあえて誤解の無いように説明します。

 此迄、国家が自国の宗教を無視する事は問題であり、認知する事が重要であると述べて来たが、此は飽く迄も認知であり操作や利用の範疇ではなく、いわば神道国家を表明するに過ぎない。
 又逆に、国家が神道を再定義する国家神道は、即ち国家が神道や天皇を操り利用するに等しく、いわばドラえもんが自らのポケットに隠れて消え去るぐらい論理に矛盾する。

 戦中が後者で現在が前者であるが、かといって神道や天皇に国家を治める能力があるかと言えば、答えはノーだろう。
 出来ない故に此迄の過去の歴史の中で、恰も天皇のトップダウンであるかの様に見立てられ、人心掌握の利用が繰り返されて来た。
 つまり留意するべき問題は、トップダウンによる天皇自身の暴走ではなく、ボトムアップによる時の政権からの天皇の悪用である。

 要は内包する国家ブロックの向心力とのバランスが問題なのだ。

 議論するべきは其処にある。

Posted by Virtue at 18:30 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用

軍事概念図

軍事概念図

 軍事面は、外交の一手段に過ぎず、また外交の要である情報収集・解析能力がなければ単なる危ない玩具、武器コレクションである。

 殊に日本に於いては、外務省及び防衛庁の独自情報収集能力に乏しい為、武器コレクタの様相を呈しており、独自戦力を持つ事は他国に振り回され利用される危険性が高くなるという事である。
 更に言えば、日本に於ける外交の目標・目的がハッキリして居らず、日本の国益の為に機能しているかどうかすらも怪しく、抑も憲法自体が意味不明な為、其のトップの目的が崩れていれば、当然下位の体系もグズグズに崩れるので、現戦力の内容からして其れを持つ根拠の不明さが露呈する。

Posted by Virtue at 20:28 | 静岡 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 論文用

.