2005/12/03

企業戦略概念図

企業戦略概念図

 目標と目的は一体であり、其の上には大きな目標と目的が存在し、下には手段としての小さな目標と目的が作られピラミッドとして体系化される。
 階層が上位へ昇る程、簡素化され本質が露呈する。
 そして目的の目標足り得ないものに達し、目的は目的ではなく理念と成る。

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2006/01/08

風林火山

 “風林火山”の由来は省くが、武田信玄が旗幟に示した戦術、いや、其れにも満たない手法を掲げ、更には国を盗るのに手段は選ばんとするならば、其れは理念無き国家観、変わり身の早い流浪の民や商人に等しい生き様ではないのかと思った。
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2006/02/09

『共産主義』ガン細胞の如く

 シンガポールは、マレーシアを華僑に乗っ取られて独立した国だ。
 台湾も現在、華僑勢力による圧力が日に日に増して同じ立場にある。

 アジア全体がそうだが、商人主体の中国みたいな共産主義国は、民主主義国家を相手に商売をしようとする時、周辺の弱小国を飲み込み、民主主義国家に見立てて手足の如く、金融都市を作り上げる。
 香港、シンガポール、マカオみたいな都市だ。
 日本国内で例えるなら、消費者金融や地下銀行みたいなもの。
 ブラック・マネーの集積所であり、資金洗浄の場でもある。
 いわば一党独裁政権を管理会社とする、党幹部が利益を吸い上げる仕組みが其処にある。

 だからこうした独裁政権を宿主とする国家規模の汚職も、一民間企業の比ではない巨大なものだ。
 そんな国家が軍備を増強したらどうなるか。当然民間企業は軍なんぞ持てない。

 商業主義を信奉する者は、何れ商業主義の本場の支配下におかれる様になる。
 又彼らは、其れを乗っ取りとは思わず歓迎、思想体系の総本山として迎合する。

 まさにガン細胞其の物で、周辺地域をどんどん侵食して行く。
 其の痛みに晒されるのは、食い物にされている製造業。
 人がモノをつくる事をやめたら、世界はどうなるんだろう。

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2006/02/12

天皇は国民じゃないだろ!

 まったく、TBSだよ、TBS。
 男女平等だからと改正賛成の無知バカ女と、憲法や法律に違反だからと改正に賛成する法律バカ(男)のコンボで、しつこく世論操作してやがる。
 日本の文化や歴史について、全く知識を提供しないのな。

日本国憲法

第3章 国民の権利及び義務

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 以前にも書きましたが、天皇は生物的には紛れもなく人間であるが、憲法上は、象徴であって人ではない。
 従って人でない以上、国内的には人権が無い人間である。
 即ち、憲法上、人権の無い人間は、外人や国民にも相当せず、故に天皇は、国民ではない。
 抑も、天皇に苗字はありますか?選挙権はありますか?

 だから、天皇を国民同様に扱おうと男女平等を押し付ける人は、無知か無理解か、何れにしても国民として引きずり降ろそうと加担している事になる。
 殊に無知は知識を与えれば解決するが、無理解という奴は、皇室撤廃等他に目的を持つ厄介な連中で、現在の皇室典範改正の趣旨・目的と全く違う理由で利用しようとしているので、厳重に監視しておく必要がある。
 更に無理解で厄介なのは、法律家や元裁判官、弁護士で、テレビを見ているとわかるが、法律の中でしか語れない人間でありながら、そうした「日本文化や歴史を知らない単なる法律家としての見解」という前提も無く、恰も其れが日本の全て、原理原則であるかの様に語り、或いは語らせ利用するTBSの様なテレビ屋が存在する事だ。
 天皇が、法律や憲法が出来る遥か以前から、数千年もの間、代々受け継がれて来た時代の重みというのを、彼らは、知ってか知らずか無視しているわけです。
 即ち、
皇室典範>憲法>法律>条例>社則(校則)>家訓

という事で、法律家は所詮、法律家なわけです。
 何故、建物を破壊する岸和田祭りや人の群を為す祭り、相撲といった暴力的神事に、法律が適用されず認められているか考えてください。

 あと、卑弥呼や天照大神は女だったからと言うのもいるが、女であると断定されていないし、抑も卑弥呼も天照大神も皇統とは関係無い。
 飽く迄天皇即位や皇位継承は、代々男が継ぐ前提で行われているのだから、即ち万世一系(男系)が天皇の不変の定義なんだから、女系になったら其れは全く別の存在になる。
 そしたら其れこそ象徴どころか、単なる国民の見本や手本『カリスマ国民』で、一般人其の物になってしまうではないか。
 皇室潰しと見られて当然だろ?
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2006/02/13

天皇は制度じゃないだろ!

 天皇『制』という言葉をよく耳にする。
 象徴天皇を指すらしいが、実際は、天皇其の物の制度と捉えている人の方が多いだろう。
 何れにしても間違っているが、まあ其れはいいとしても、現在の皇室典範改正の流れからすると、憲法に直接関係する『象徴天皇制(度)』というよりは、天皇自身の決まりに関する改正という事はわかるだろう。
 しかし皇室典範は、いわば曖昧な部分についてのみ、補助的に変更しうる決まり事があるだけで、後は現存する天皇の在りの侭の姿を活字で表現するしかない。
 何故なら、天皇は制度ではないからだ。
 典範や憲法成立以前、数千年も前から存在する天皇を、どうやって制度化出来よう。

 もし天皇が制度で成立するなら、制度を変えるだけで誰でも天皇に成れてしまう。
 戦国武将が、自らを天皇としなかった理由が其処にある。
 天皇とは飽く迄、万世一系という血統による皇統を指すものであり、戦国武将がどんなに強かろうと、赤の他人が天皇に成りようが無いのだ。
 もし武将が「今から俺が天皇だ」なんて言おうものなら、まさにドン・キホーテ状態、後世に残る笑い者である。
 ある意味、男系こそが、危機管理的側面からも、最大の強みでもあるわけだが、かといって皇室を根絶やしにしてトップになるべく、皇室抹殺の狂気に出た者も居なかった。
 其れは、戦国武将でも、天皇が日本の何たるかが理解出来ていたからだろう。
 以前にも、其れでトヨタ奥田経団連を批判したが、実際問題は何親等でも遡れば、皇室復活は可能だし、例え女系になっても並行して男系を残す動きは、出て来るだろうと思っている。

 即ち、天皇が万世一系でなくなれば、其れは天皇ではなくなり、制度として女系を認めるのであれば、其れこそ其処から所謂『天皇制』に基づく、何の価値の欠片も無い『裸の王様』を生み出す事になる。

 皇室潰しを考えている人間も、よく考えて方がいい。
 どんなにあなた方が、天皇を『天皇制』と呼び、恰も制度であるが如き存在にすり替えて廃止に持ち込んだとしても、万世一系が天皇である以上、天皇という存在は其の皇統が続く限り消えない。
 即ち、皇室が廃止になろうと女系になろうと、万世一系である天皇と天皇制による偽天皇の二名が乖離するだけで、寧ろ一般国民に同化した天皇程、権力が無制限に成る驚異的存在は他に居ないだろう。

 恐らく、制度として女系を認められても、裏では必ず男系で繋ぐ事になる。
 即ち、女系天皇が誕生し、此等を推進した連中が何れ「天皇は万世一系だからこそ天皇だったのに、女系天皇なんて何の意味も無い。天皇なんて廃止だ。」という流れに絶対持って行くだろう。
 ところが、制度上で上辺だけ抹消されても、正真正銘の天皇は存在するのである。
 まさにウエポン・フリー状態の、最強日本人として。

 俺は嫌だ、蘇我氏や物部氏、藤原氏といった天皇の権威を奪い合う内乱、明治政府みたいな天皇に軍服を着せ、戦争をおっ始める行動右翼が再び台頭して来るのも。
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2006/03/22

企業理念(イデア):世界観

『仕合わせ』:世界観の理念を指し、世界平和を目的とし、其の目標を戦争消滅(ゼロ)とする。

 『幸せ』とは『仕合わせ』の事であり、日本人が世界で誇る共同体意識です。
 『仕合う』では幸せは成立せず、『仕合わせ』る事で人と人とが信頼関係を築ける最も大切な要素であり、形や制度体系(システム)ではなく理念に宿るものであり、『経世済民』の根底を支え、また其れそのものを倫理的価値基準で捉えるには困難な超越した高次元に於ける価値相対主義、いわば『空(くう)』によって観念付けられているのです。
 我々は、企業を単なる利益共同体とは捉えず、高い理念・理想・ビジョンを以て邁進します。

 ○理念:使命共同体:旗幟・志(ミッション)
  ○理想:地縁共同体:村落
   ○ビジョン:利益共同体:株式会社

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企業理想(イデアル):国家観

『保守に基づく革新』:国家観の理想を指し、保守的要素としては日本文化を再生する事を目的とし、其の目標を日本(国憲法)に神道が日本固有の宗教である旨を認知(+)させる事とする。革新的要素としては米国の多国籍化促進と其れに基づく国連化を目的とし、現国連体制の廃止(ゼロ)を目標とする。

 保守(従来)という比較対象がなければ、革新(新規)の認知はできません。
 日本の「自由」「民主主義」「資本主義」といった極普通の環境に対し、日本に於ける革新とは、其れ等を否定する反体制イデオロギーであり、即ち今ある日本の存在そのものを否定するものです。
 こうした日本の政治制度下で此を為そうとする矛盾は、いわば暴走族が日本の社会制度下で反社会的行為をするに等しい事です。
 即ち彼らが好き勝手を出来るのは、現在の社会制度があるお陰なのです。
 もっと言うなら、否定する存在に則って其れを否定する行為は、単なる反発であって其処に主体性があるのかどうかすら怪しく、永遠に成し得ない茶番劇です。
 しかし国家に対する思想は様々であっても、風土や其れに伴う文化や文明の存在、風土派生によって数千年に渡って築かれた今日の日本の存在を、誰も否定は出来ないでしょう。
 そして我が風土に於いては、『円』という通貨が存在し世界から認められています。
 通貨は国家とも言われます。
 我が社は、企業体として其の風土によって携われた、通貨制度に基づいて存在しています。即ち日本です。
 従って、保守を認知する我が社の軸足・主体は常に日本にあり続けます。
 此は世界企業になっても何ら変わりません。
 政治が革新の意味を履き違えている現在、よりよい資本主義の追求という真の革新を為せるのは、自己発生の原点・ルーツを重んじ世界各国の通貨を扱う世界企業であると考えます。

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企業構想(ビジョン):社会観

『経世済民』:社会観の構想を指し、モノづくりに基づく経済の健全化を目的とし、其の目標を社会貢献(循環(±)・還元(−)・発展(+))とする。

 経済に於ける金融とは、所謂『ゼロサム』であり、例え金融商品が生み出されたとしてもお金の移動ルートが広がるだけです。また通貨量そのものを増やしたとしても通貨価値が下がるので矢張りゼロサムです。
 経済に於ける商いとは、所謂『流通・交換・分配』であり、其処に流れる商品が存在しなければ交換すら出来ません。
 経済に於ける生産とは、所謂『モノづくり』であり、経済の中では上記両者の助けが必要ですが、逆に其れ等は経済の中でしか存在出来ません。
 まさに『経世済民』の『世』と『民』が抜けた民不在の浮世離れとは此の事です。
 つまり生産とは地に足が着いた自給自足の発展系であり、其れが食であれば「自分が生きる」という最低条件を満たす事が出来、自給自足(生産)が保守なら其の発展系で成立する経済(商い)は革新に相当します。
 従って、経世済民の本質は、「自分の身は自分で守る」「自分の事は自分でする」といったやはり保守という自給自足の発展系であり、生産(仕事)を増やして我も他人も、仕合わせになるという理念・理想なのです。

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2006/06/22

財力と品格

 「人は金持ちになると上品になる」という「財力と品格は比例」と言った考え方は、華僑やユダヤの商人に色濃くある思想だが、今や「財力は経済力」と捉える程に経済の質は低下、「貧乏人は下品で、金持ちは上品」という偏見へと変質、数値化された経済で品格を問う様な世の中になってしまった。

 元来日本では、国外の実態が広く知れ渡る以前、外人の目からは文明的に劣って見えていても、国内的には人並みの生活として当たり前であり、自らを蔑むという発想自体が無かった。
 寧ろ其の生活水準を上回る金持ち程、裏で悪事を働いていると言った「下品・下劣・悪」といった思想があった。

 たが日本人は、オール・メタルの黒船の船体を見て以来、オール・ウッドは全てに於いて劣る「無機物>有機物」「無機物の多用は文明国の証」と錯覚、「文明国→先進国→豊かな国」という誤解を基に定義化された価値観は、いつの間にか「金持ち→優秀→立派」と捉える程に先入観として染み着いてしまった。

 抑も、財力とは、数は力という価値観であり、品格とは、質は位という価値観であって、パワーとベクトルは相容れない関係にある。

 前者が権力であれば、後者は権威に相当し、此を交えて捉えるという発想は、ナショナリズムをグローバリズム化し、価値基準其の物を一本化、万人による各々の価値が問われなくなり、頂点に価値を治める者が現れるという相当危険な思想に繋がる。

 言わば、一神教的思想である。

 日本も嘗て、キリストを神其の者にする様に天皇を神にし、更には天皇の権威を政治権力とごちゃ混ぜに統合化してしまった歴史を持つ。

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2006/08/07

武士道の危うさ

 過去にどの記事かで「武士道なんて糞だ」と述べた事があると思うが、其の理由を未だハッキリ記述していなかったので書こうと思う。

 何処で言ったっけなぁ・・あった!
 ググったらトップに出て来たw

元旦早々また朝日新聞が胸糞悪い記事を
http://robotboy.japonium.com/article/11265031.html

 何、長々と書くつもりは無いので御安心を。
 ロジックは簡単だ。

 武士道とは、儒学や朱子学という哲学が元、更に遡れば仏教そして釈迦の教え(思想)へと辿り着くわけだが、多くの人間が武士道精神性を語る上で、日本人の特性とする道徳心を絡めながら、其の哲学だけで語ろうとする。

 危険だ、危険極まりない。
 上記を参照された方は何となくわかるだろうが、「道徳」については、当ブログの行動指針である連想用日本風土派生図を語る中で記述しているので下記を参照ください。

連想用日本風土派生図<中級・道徳不要編>
http://robotboy.japonium.com/article/9959314.html

 「長々と書かない」と言いながら、参照しまくりではないかと突っ込まれそうですが。
 さて、予備知識を押さえた上で進もうと思います。

 「其の哲学だけで語ろうとする」と先に述べたが、では何が足りないのか。
 ズバリ、「剣術」である。
 此は、竹刀を使った剣道ではなく、真剣を使った命懸けの剣術を指す。
 言わば「中国大陸の帝王学+日本刀を基調とする武術」という、日本に於ける文武両道の形が其処に在る。
 つまり「戦略+戦術と戦力」で、「理論的(=から来る)人心掌握の知恵(戦略)と実践的(=から来る)肉体の感覚(戦術と戦力)」、即ち「知と体の精神修養こそが心を作る」という、其れが「文武両道」であり、日本で言うところの「武士道」なのだ。

 但し、此を実践していたのは一握りの国民であって、武士道精神は日本の道徳心ではない。
 無論日本の剣術は日本刀と切り離せない関係にあり、日本の戦史の中で築き上げられ磨き上げられた云わば日本人の心、其れを作る職人を含め其れを取り巻く風土からなる思想有っての物である。
 人工物は魂という名の情報の器であり、職人の技術や時代背景という人の歴史が蓄積された記録媒体である故、考古学然り、其れを見れば其れを作り上げた文明の息吹を感じる事が出来る。
 だが武士道精神を懐古される様な時代に於いて、其処で実際に大衆に行われていたのは、帝王学や武術に迄至らない「読み書き算盤」という商人としてやっていけるだけの基礎レベル。
 勿論其処から先を学ぶ自由はあったが、其の帝王学の書物は高価なものであり、一般大衆の中でも富裕層でしか手に入れる事は出来なかった。

 所が今現在、帯刀は禁止され、学校で真剣を使った剣術の稽古も行われていない。
 にも関わらず、中国大陸の哲学だけ学べば、当然、日本の風土から発生し由来された、自国から学ぶべき「命の尊さ」は蔑ろにされる。殊に島国の日本では其の危機感も薄い。
 当然そんな人間に、外圧による自国の生命に対する危機感なんかあるわけもなく、学んだ帝王学の祖となる中国様からお声が掛かれば、中国幻想一杯の彼等であれば諸手を挙げて歓迎するだろう。

 即ち、弱味を握られると相手の諭す帝王学のままに自己正当化し、敵に寝返る様な「腹が切れない‘身’の程‘知’らずのインテリぶった頭でっかちな人間」が出来上がる。
 こうして生まれたのが、売国官僚の所謂「チャイナスクール」であり、政治家なら橋本龍太郎、加藤紘一、谷垣さだかず(谷垣禎一)、岡田克也であり、無論、財界人も例外ではない。
 ハッキリ言って竹刀の贈与で武士道を気取る橋龍よりも、日本刀をバットに見立てて居合いする王さんの方がよっ程リアルな武士道だ。

 即ち、「命懸けで守る」という体を張った肉体的修養を行わなず、他国の哲学だけを受け入れる事が、如何に危険で身を、強いては国を滅ぼす行為に繋がるかわかるだろう。
 実際、日本という国は明治維新の際、神道を朱子学等の思想家系宗教と習合させて体系化し、権力が暴走して敗戦によって滅びた。

 武士道とは、知と体の微妙なバランスで成り立っている、まさに諸刃の剣なのである。

 要は「剣術もしてないくせに士(サムライ)面するな」という事だが、「武士の商法」とはよく云ったものだ。

武士の商法
商売のやり方が下手であることのたとえ。明治維新以後、武士であった者が商売をしても、いばってばかりいて失敗することが多かったのでいう。(大辞林 第二版)

 此の諺、明治維新からだったんですか、今言った事と見事に被りますね。
 武士の商法で国を動かされてはたまったもんじゃなですよ、ホント。
 自ら武士道を騙り自己正当化する者、相手に武士道を騙り諭す者、どちらも糞以下、ガン細胞其のものだ。

 殊に今回の話に重ね言及すれば、技術の粋を集めた日本刀に代表されるモノを作る職人を、現在の日本ではバカにする傾向があるのも他国の思想ばかりに偏って受け入れた結果だろう。
 日本人はモノには魂が在り其れを宿す職人を神扱いして来たが、近代日本では其の日本刀という武器に象徴される魂の器をクルマ等に転換して技術力を高めて来た。
 しかし其れは日本刀程の生命の継承とは程遠く、飽く迄技術面だけであり他国の製品の代用に過ぎなかったのではと思うのだ。
 日本人はクルマの運転を剰りにも知らなさ過ぎる。
 モータ・スポーツでは未だ一流の域ではないし、実際、運転のうの字も知らない日本人が、命懸けの競技だと理解出来る筈も無いだろう。
 しかもトップ・カテゴリに位置するF1に居る日の丸を身に付けた日本人でさえ、中国共産党のプロパガンダに加担するという売国的傍若無人ぶり。
 だから技術を軽んじ易々と売り渡せるし、産業的ダメージや背後にいる労働者の痛みも感じられない。
 従って本当に武士道を敬いたければ、今ならせめて日本の産業主力製品から生命という根源を基調とする肉体感覚を研ぎ澄ませるフローを築かなければならない。
Seesaaタグ
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